パワハラ防止法とは
日本のニュースによりますと、6月より「パワハラ防止法」という法律が施行されるそうです。正式には「労働施策の総合的な推進並びに労働者の雇用の安定及び職業生活の充実等に関する法律」というそうで、通称「パワハラ防止法」なのだそうです。
厚生労働省の発表した資料では、以下の3つをすべて満たすものが、職場におけるパワーハラスメントとして定義されています。
- 優越的な関係を背景としていること
- 業務上必要かつ相当な範囲を超えた言動によること
- 就業環境を害すること(身体的もしくは精神的な苦痛を与えること)
ただし、「客観的にみて、業務上必要かつ相当な範囲で行われる適正な業務指示や指導」については、パワハラに該当しないと明記されています。ちなみに、「優越的な関係を背景として」とは、上司から部下への行為だけを指すわけではありません。同僚から同僚、または部下から上司への行為であっても、パワハラに該当する場合もあります。
アメリカでは「セクハラ」に関して企業の責任も罰則も大きいので、企業内でも一年に一回はセクハラに関する教育が全員に行なわれます。もちろん、これは基本的にセクハラ問題を抑止するとともに、もし問題が起きた時に、その企業が責任を問われず、セクハラをした個人に責任を負わせる方策だとは考えられます。また、問題が起きた時も日ごろからその様な教育をしているわけですから、会社の指導に従わなかったということで一発解雇ということも考えられます。「セクハラ」に関しては、「アメリカ生活番外編」でも詳しく触れていますので是非参考にして下さい。日本ではかなり遅れて、セクハラ問題に関しての認識が進んできているのではと思います。
ただ、アメリカで「パワーハラスメント」という言葉を聞いたことがないし、またわたしにでも容易に想像がつく日本における「パワハラ」の実状に相当する状況や問題をあまり見たり聞いたことがないので、ニュースを見た時にふと不思議に思いました。そのような訳でこのパワハラについて少し考察してみたいと思いました。
今に始まった問題なのか?
まずはじめに、この「パワハラという行為」そのものが今に始まったことで、新しい社会現象である、と思っている人は、現在の若い世代を除き「恐らく」いないと思われます。日本では社会や企業そのものが強烈な縦社会(特に男性社会では)、封建社会でありましたから「上の言うことは絶対」「上司や先輩の命令は絶対」みたいなところがありました。
まさにわたしのひとまわり、ふたまわり上の上司は、いわゆる団塊の世代であり、日本の高度経済成長期を支えてきた世代として、持っている「パワー」そのものが半端ではありませんでしたから、そのパワーが強烈なリーダーシップとして使われたか、ハラスメントとして使われたか???は実に微妙です(笑)。上記のパワハラに相当する3要件に当てはまっていなかったかと言うと、恐らく多くの場合当てはまっていたと思います。
わたしが新入社員だったころ、30代の係長クラスが40代の課長クラスの席の前で直立不動になって30分怒鳴りつけられている、というのは日常風景でした。わたしもどちらかと言うと教師や先輩からの体罰(当時は愛のムチ)が当たり前だった体育会系出身なので、「まあ、そういうもんだろうな」と大して気にもしていませんでした。もし、自分がそうでなく文化系?出身のインテリだったら?と30年経った今考えているところです(笑)。
セクハラでもそうですが「ハラスメント」と定義される場合、受け手の受け止め方がすべてであり、それを「指導」と受け止めるか「嫌がらせ」だと受け止めるかで大きく状況が異なることになります。
ただ、「パワハラ」による社会問題や労働問題がこれだけ表に出るようになり、法律が制定されるほどですから、確かになにかが変わったのは間違いないのでしょう。
日本特有の問題なのか?
前述したように、ここアメリカでは社会問題になるほどのこのような話はあまり聞こえてきません。
背景には、年齢や人種や性別による差別を法律で禁じており、企業もそれを忠実に守る必要があるために、そもそも自分の部下だったら「なんでも言っていい」という状況にはありません。Employ at willという、仕事ができない従業員や部下を比較的簡単に解雇できると言っても、好き嫌いや感情にまかせて怒鳴りつけるなど、御法度行為で、その様な場合でも上司は時間をかけて教育をしたことと、それでも改善が見られなかったという証拠を人事部と一緒に非常に根気強く作っていく必要があります。これは別投稿の「Performance Evaluation 業績考課」でも述べました。
直接部下を厳しく指導したりする場合は絶対に人前で行ってはならないという社会人としての常識もあります。人前で恥をかかせるというのは、その時点で社会人として、上司として失格であり、部下よりも先に失職する恐れがあります。
会社や上司への忠誠度の低さや、転職に対する抵抗の少なさ、容易さからして、部下を脅して仕事をさせることもそもそも難しいということもあります。
それに対し、日本の企業文化は「グローバル・ビジネス」の中で触れたように世界的に見ればかなり特殊でありますから、やはりどちらかと言うと、「今現在では」日本特有の社会問題と思わざるを得ません。
もちろん同じように、「企業文化」に加えて日本の「家庭教育」と「学校教育」もその一端を担っています。家庭教育では、儒教の「親を敬う」「上下の秩序」の教えを間違って「親は絶対」「長男継承文化」などの家庭内格付け、学校教育では言わずもがな「上級生の絶対優位」や「クラス内格付けによるいじめ」の横行が脈々と、社会人になっても抜けないメンタリティなのではと思います。
特に学校での「いじめ」も、今に始まった問題ではないと考えられますが、いち早く根絶することが絶対に必要です。いじめっ子を作らない家庭教育がもっとも大事なことなのに、現在もまだ、いじめっ子にならなかった子供が結果としていじめられるという悪循環になっているのではないでしょうか。今も昔も、子供でも大人になっても「いじめっ子」である方がお得な社会だったのではないでしょうか。
最近はあろうことか教職員間のいじめ問題が明るみになり刑事罰へと発展していましたね。これは「パワハラ」扱いではなく「いじめ」と報道されていましたから、教職という半ば聖職に就くものがこれでは「パワハラ」なんかまだかわいいほどの低レベルな社会であります。
いずれにしても、日本の学校や企業の中、の簡単には出ていくことができない「村社会」で生きていくには、「格付けに従う」ことや「格付けを利用する」ことが当然の現象となっているのですね。これは多くのことが「個人主義」である欧米文化とかなり異なる部分で、やはり日本特有の社会問題と言わざるを得ません。
ジェネレーションの問題なのか?
上記の「今に始まった問題なのか?」で、そうではないと結論づけていますから、今社会問題になるということは、何かが変わったのでしょう。考えられることとしては・・・
- 我々の世代(40~50代)が、リーダーシップ能力に欠けているため、我々の上司世代(60~70代)が取っていた言動と同じでは嫌がらせと判断される?
- 我々の世代(40~50代)では育ってきた環境から旧態依然でグローバル化、欧米化が進んでいない?
- いまの若い世代(20~30代)の考え方のグローバル化、欧米化が進み、結果として、欧米式の社会人の常識が今、日本社会に求められている?
この辺の考え方は学校教育、家庭教育上の「体罰」に関してもほぼ同じでしょう。我々は体罰を受けてきた世代であり、それが今では「虐待」となりました。
ということで、我々は「今で言う」パワハラも虐待も受けてきたのに、日本社会の欧米化が進んでいなかったためにモノ申せず、損をした世代とと考えることもできます。されてきたことを下の世代、自分の子供世代にはしないという選択をすることは「誰でも40代くらいに」体験するのでしょう。親が日本帝国軍人だったりする我々の上司世代はもっと苛酷で熾烈な時代を生き、戦争がなくなったこの時代に相当に変わったのも間違いないので、彼らも同じような経験をしたのだと思います。そういえば、我々の世代は20代くらいの時に「新人類」などとも呼ばれていました(笑)。そうやって、国、人種を問わず人類が進化していくのはとてもよいことですよね。
まとめ
「パワハラ防止法」と言われればちょっとインパクトが強かったのですが、「労働施策の総合的な推進・・・に関する法律」という法律整備により、日本の労働法と常識がまた一歩、数十年遅れて国際標準に少し近づいただけであるということだと思われます。
国際化のなかなか進まない鎖国文化の日本ですが、もうすぐ手遅れになりそうな気がします。「グローバル・ビジネス」の中でアメリカでのオフィス・マナーや日本との常識の違いを述べておりますが、そのようなことを力説しなくてもよい時代が早くやってくるといいですね。
ただ、わたしにその昔、厳しく指導をしてくれていた先輩方が、今は部長などの要職となり、若い人を呼んで、
「○○さん、ちょっといいですか?ここを直して、もう一回検討してもらえますか?」
なんて言っているのを見て、なんとも気持ち悪くて、
「なんスか、それ~~?」
って言ったら、
「オマエな~、パワハラって言葉知らないのか?オマエに昔言ってたような言い方したら、いまの若い人たちは泣いちゃうんだよ、オメー、ちょっとは勉強しろよ」
と、すっかり元通りの口調と怒気に(笑)。わたしはこの先輩から厳しくしごかれるのは、期待されているからだと思って嬉しいくらいでしたが・・・。しかも、あんな丁寧に言われていたら、気持ち悪くて泣いてたかも。
うーむ、パワハラは奥が深い。