「アメリカ人はなぜフレンドリーなのか」という投稿では、アメリカでのビジネスシーンで見かける一般的かつ典型的なフレンドリーなアメリカ人のことを書きました。
ただ「グローバル・ビジネス」の中では、アメリカや欧米社会は「バリエーション」が激しく、「アメリカ人はこうだ」と断ずるのも非常に難しいとも書きました。要するに、日本のように極めて狭い幅の社会通念、常識の中でも「ピンキリ」があるように、アメリカでは「ピンキリ」どころの騒ぎではありません(笑)。
その講座の中でビジネスを成功させるには「欧米文化に入っていかなければならない」と説き、下記のようなイラストまで描きました。
今回はこのメンタリティーの部分は無視していただいて、この図形の意味するところに、欧米社会の多様性や幅広い社会通念のなかで、かなり臨機応変さや柔軟さが求められるということがあります。また、ビジネスシーンに限らず、生活や地域まで含めればこの多様性は驚くほど大きなものになります。
人種や宗教、出身国、貧富、地域文化の違いや差が日本と比較して半端じゃないですから、わたしは「アメリカ人はフレンドリー」と言いましたが、もちろん犯罪大国でもあり「とてつもなくアンフレンドリー」で、口を開けば悪態しかつかないような攻撃的で野蛮なアメリカ人ももちろんたくさんいるのです。
ビジネスの上で「建前」は非常に大切なことなので、それを必要としないシーンとなればアメリカ人の印象もガラっと変わることすらあり得ます。
そういう意味では、わたしの講座テキストでは、アメリカ人やアメリカという国を評論しているようなところは少ないと思われ、なにせ・・・わたしにとっては評論するのが非常に難しいのです。
一部の犯罪者を除き、「法律(と、人によっては宗教の教え)さえ守っていればあとは自由」なところは、「世間体」や「世間様」とか「人様」とか言う言葉をよく聞く日本に比べれば、本当に「かなり自由」。武器を所持するのも基本的に自由なほどですから。
その「自由」にある程度リミットをかけるために、「法律」自体は決まりも罰則も厳しく、さらに言うと法の番人である「警察」の数が半端なく、厳しいのは当然ですね。
「アメリカ生活番外編」でも触れたように、友好的~敵対的、安全~危険、いい人~わるい人、などの幅は日本に比べればピンピンピンとキリキリキリまで、3倍くらい広いと思ったほうがよいです。
ということで、この記事はそのバリエーションの大きさからアメリカ人(全体)を批評することは難しいということとともに、運悪くたまたま「悪いアメリカ人」や「ひどい体験」に出くわしたときに、アメリカやアメリカ人(全体)を嫌いになったりするのは惜しい、ということも言いたかったのでした。まあ、わたしも80%くらいアメリカナイズドされているということもあると思います(笑)。
ビジネス・シーンでも、本当に「いい加減なことを自信満々に言う」とか「仕事がまったくできない」など、普通に出くわします。ただし、「ほんとうの意味での正直者」と「天才のように仕事ができる」などもたくさんいます。
もちろん、危険域に踏み込む必要性はまったくありませんが、ある程度のバリエーションの大きさを想定したうえで、なにごとにも取りかかる必要があり、臨機応変さと柔軟性が必要になることが多いということです。
そういうことに慣れてくれば、アメリカもいいところだ!と思えると思います(笑)。