趣味の「読書」の投稿でふれましたように、日本のハード・ボイルド作家の大藪晴彦の作品に耽溺しました。その大藪風にわたしの朝の1時間を書くとどのようになるのか・・・野獣死すべしの伊達邦彦に演じてもらうと、おおよそ下記のようになります。
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朝6時に出社するために5時に邦彦は眼を覚ます。うなり声をあげながらダブルベッドから起きあがると、舌にまとまりつくような濃い16オンスのコーヒーを淹れ、ゆっくりと飲み干しながらマルボロ3本を灰にする。サマータイムのアメリカの朝はなかなか明るくはならない。暗闇の中で着替えを済まし、歯を磨き、顔の脂を丁寧に拭う。明かりをつけてシェービング・クリームと使い捨ての安全カミソリで髭を剃り、鏡の中に精悍かつ冷酷な表情を取り戻したのを確認して、左手にオメガ・シーマスターをつける。
スターターで愛車のエンジンに息を吹き込む。GMC製サバナのレイズド・ルーフは、重苦しくその咆哮を闇に響かせ周囲を威嚇しはじめた。そのV型8気筒6リッターのラフなOHVエンジンが10分もして機能を回復させると、アメ車特有の機械的な重たいアイドリングの音で、内臓と体中の血液が正常に機能しはじめたのを感じる。素早く運転席のドアを開け乗り込むとシフト・ノブををバックの位置に叩き込む。
この日本刀のように研ぎ澄まされた神経を鈍らせるような朝飯は食べない。まだ黎明の月を見て思わず微笑みながら、野獣の血を呼び起こすと乱暴にアクセルを踏み込んだ。今日は死ぬかもしれないが、生き残る可能性もある。奴らを蜂の巣にするか、自分が土に還るか、いずれにしてもたいした話ではない。ステアリングを握る左手の指が白っぽくなり、蛍光塗料で浮かび上がったシーマスターの針は5時40分を指している。邦彦の凶暴な表情に、V型8気筒のエンジンは不気味な唸り声をあげて呼応した。
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こんな感じになります(笑)。もちろん、私は伊達邦彦のような凶悪ではありませんから、もしわたしが邦彦だったらという仮定で記してあります。本当にわたしを主人公にしてしまうと、「朝起きて、顔を洗って、着替えて、会社に行った」にしかなりません。しかし、このようなまどろっこしい表現を使って、いちいち主人公の感情や心の動き、状況を説明するので、海外のハードボイルドものも純文学と並んで大変読むのが難しいのです。
稀代の名優、松田優作主演の同名映画作品は、松田優作の独自の伊達邦彦解釈により原作や大藪晴彦の意図とは全く異なるものとして有名ですが、それはそれで・・・松田優作が稀代の名優たる所以でしょう。わたしは大好きでした。
相当に大事なこととして、どうしてもこの文章のなかに、「パソコン」とか「iPhone」などの単語が入っていてはいけないと思われ、実際の行動描写から割愛せざるを得ません。「野獣死すべし」が書かれたのはなんといっても1958年ですから。ということは、2020年の現代においては、このテのハードボイルドは絶滅しているのではないかと思われ、新鋭作家の新刊に手が伸びないのかもしれませんね。
その後、35年に渡って「野獣シリーズ」は続き、どれかの解説では伊達邦彦はすでに1,500人(正確には記憶していません)の人間を殺していて、何人までいくのか、との記述がありました。相当な大藪マニアの解説者だったんですね。最後の「野獣は死なず」(1995年)までに何人だったのか少し気になりましたが、これからもきっと数えながら読み直すことはないでしょう(笑)。
このような大藪小説の超絶に快活な主人公が好きでしたから、中年になっても生きていることに感謝するハードボイルダー。← そんな言葉はありません(笑)。
甘口の小説が多いとお嘆きの貴兄に、大藪晴彦。